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神様と俺シリーズ

神様の休日

 

「チャンスは残り三回です」どこか楽しげに声は告げた。昼下がりのスーパーマーケットは休日と言うこともあって、買い物客で混雑している。おまけに今日は、千円以上のレシート一枚で輪投げが一回できる催しも開催されていた。そのため店内はいつもよりごった返し、俺は辟易していた。
 そんな中、一人の少女が輪投げに挑戦しているのだが、十回以上は投げているのにもかかわらず、まだ一度も成功していなかった。
「きぃいいい~! どうして入らないんですの? こうなったらわたくしの力を……!」
「おい、美月。ずるは駄目だぞ」
 俺はすかさず釘を刺す。
「わかっていますわよ!」
 むきになって輪投げをしている幼い少女は、歳は八歳くらいで、くりっとした大きな丸い瞳に小ぶりな鼻、丸みのあるほっぺたに、赤く血色のよい唇は口角がきゅっと上がっている。長く真っ直ぐな黒髪をポニーテールに結わいて、白のワンピースを着ている。控えめに言っても美少女で、成長したら美人になるだろうと誰もが思うような容姿をしていた。
 実はこの少女は農業、商業の神として有名なあの稲荷神なのだが、今は人間のフリをして輪投げに興じている。美月と言うのは地上での仮の名である。ちなみに稲荷神の力は本物で、俺の怪我を治したり、俺の幸運を上げてくれたりもした。他にもいろいろできるらしいのだが、俺は興味がなくて聞いていない。
 ――ガンッ!
  勢い良く投げられた輪は、棒にはかすりもせずに、ボードに当たって明後日の方向に跳ねていった。
「きぃいいい~!」
 地団太を踏んで悔しがる稲荷神。せっかくの清純派美少女が台無しだ。神様のくせに、そんなに景品のお菓子が欲しいのか。全く理解に苦しむ。
「チャンスは残り二回です」
 やはりにこにこと楽しげに告げるスーパーマーケットの店員を、稲荷神はキッと睨み付ける。
「言われなくともわかっておりますわ! 坂田、次の輪を!」
「美月様、どうかお心を閑かに……」
 稲荷神の側でオロオロとしていた坂田と呼ばれた男が、かいがいしく稲荷神に輪を渡している。長身白髪ロン毛で、やや面長の顔にキリリとつり上がった切れ長の目。スラッと鼻筋が通っていて、口角は緩やかに上がっている。歌舞伎役者にいそうなタイプのイケメンで、隙なくビシッと着込まれたスーツが、休日のスーパーマーケットで浮いていた。彼の正体も実は、稲荷神に仕えている白狐である。
 見目麗しくそこにいるだけで注目を惹く稲荷神と白狐。その二人が騒いでいるのだから、輪投げコーナーの周りには人だかりができてしまっていた。こいつらの連れだと思われたくない。心底そう思う。
 俺の方と言えば、容姿も頭の出来も至って普通。性格だって明るいわけでも、暗いわけでもない。将来同窓会があったとしても、「あんなやついたっけ?」と、陰でこそこそ言われることになるだろうと、容易に想像できる。記憶に残らない、これと言った特徴がないのが俺だ。
 稲荷神が苛立ちながら放った輪は大暴投もいいところで、ボードにすらかすりもしなかった。
「きぃいいい~! どういうことなんですの!」
「美月様、どうか。どうか鎮まりませ……!」
「チャンスは残り一回です」
 稲荷神は怒りで冷静さを欠いているし、白狐はオロオロするばかりで、アドバイス一つできていやしない。スーパーマーケットの店員は、どんなときでもにこやかな接客に徹している。
 ――この調子じゃ、次も駄目だな。
 せっかくレシート集めに協力してやったのに。手に持っている買い物袋がずしりと重く感じた。俺はつくづくばかばかしくなってきた。
「おい貴様! なんとかならんのかァ。これではあんまりにも稲荷神様がおかわいそうではないかァ!」
 俺の右腕の皮膚に巻き付いているヘビの形の影が、俺に話しかけてくる。こいつは白狐の影の一部で自我を持ち、白狐と共に稲荷神に仕えていた。今は稲荷神の命令で俺の皮膚の上に住み着いているが、うっとうしいことこの上ない。ヘビの影との共生が俺への褒美になると思っているあたり、稲荷神の感覚はズレている。
「人目のあるところで話しかけるなって言ったろ」
 このヘビの影は、俺と神様連中にしか見えないし、声も聞こえない。ヘビの影と話していると、周りからは一人でしゃべっている人にしか見えないので嫌なのだ。
「稲荷神様を助けてやってくれよォ! さもないと貴様のこの腕、へし折るぞァ!」
 右腕がギリギリと締め上げられる。
「いたたたた! わかった、わかったよ!」
 俺が承諾すると、締め付けは解けた。危うく落としかけたレジ袋を、左手に持ち替える。
「全く、玉子も入っているのに、落としたらどうしてくれんだよ」
 するとヘビの影はにゅるにゅると皮膚の上を移動して、俺の左腕に移った。
「小僧が最初から素直に聞いていりゃァ、痛い思いなんてしなくて済んだんだァ!」
 右手がまだ痛い。神様連中は人間の都合なんかお構いなしで、自分の都合を押しつけてくる。本当に厄介な存在だ。
「しかたないな」
 俺は稲荷神の側まで歩み出る。
「貸してみろ」
「えっ……?」
 今まさに最後の輪を投げようとしていた稲荷神から、輪を取り上げる。いざ的に向かって立ってみると、的との距離の近さに驚く。どうしてこんなに近くから投げて、的から外せるのかわからない。稲荷神は一体どういう運動神経をしているのだと、呆れてしまう。
「なにをするのよ! わたくしの輪よ!」
 稲荷神の抗議を無視して、俺は的に向かって輪を投げた。
 ――ガコン!
 俺が投げた輪は、綺麗な放物線を描いて真ん中の棒に引っかかった。
「一等です。おめでとうございます」
「わぁあああ! なぁに、おまえ。すごいではないの!」
「ああっ、美月様! 人前でそのように跳ね回ってはいけません!」
 どこかつまらなそうな顔の店員と、歓声を上げてぴょんぴょんと跳び上がっている稲荷神。白狐はあわあわと稲荷神を止めようとしていた。
「一等の『行楽駄菓子セット』です。どうぞ」
 俺は大袋に入った駄菓子を店員から受け取ると、稲荷神に持たせてやった。
「わぁっ! わたくしはこれが一番欲しかったのよ! でかしましたわ、人の子よ!」
 瞳をキラキラさせて喜ぶ姿は、人間の子供がはしゃいでいるようにしか見えない。
 ――これで、稲荷神様だって言うんだからなぁ。
 ちなみに俺は輪投げや射的といった的を狙う系が元から得意で、めったに外さない。一等がとれたのだって、一等で当然だと言う気持ちがある。
「今夜はすき焼きにするんだろ。さっさと帰るぞ」
「ああっ! わたくしを置いていくでない!」
「貴様! 美月様に対し、その態度はなんだ! 無礼ぞ!」
「そうだ小僧ゥ! 稲荷神様に無礼だ、無礼ィ!」
 全くもってやかましい。俺は無視を決め込んで、家路を急いだ。

◇◇◇

「んんーーっ! このすき焼きとやらは、本当に美味ですこと! ほっぺたが落ちてしまいますわ!」
「そりゃぁ、A5ランクの和牛ですからね」
 口の周りを油分でテカテカにしながら、稲荷神がただでさえ丸みをおびたほっぺたを、さらに丸くして口いっぱいに肉を頬張っている。
 狭い単身者用のワンルーム。ちゃぶ台の上にはカセットコンロが設置され、その上には食べ頃のすき焼きがグツグツと煮えている。肉はもとより、白菜、ねぎ、春菊、椎茸、豆腐、しらたきと言った材料の全てが、スーパーマーケットで買える中で一番高い物を使っている贅沢すき焼きだ。どう作ったって、美味くなる。
 稲荷神だけでなく、スカした白狐でさえも口の周りをテカテカにして、夢中ですき焼きを食べていた。そんな中、ヘビの影は所詮は白狐の影なので、食事を摂ることはできない。そのためふてくされ気味だ。
「貴様ごとき人間風情が、稲荷神様と共に食事ができるのだ。感謝するのだな」
「そうだぞ、小僧ゥ!」
「はいはい。言われなくても感謝してますよ」
 ――A5ランクの和牛に。
 奨学金を借りて大学に通っているような、貧乏学生には到底買える代物ではないことくらいはわかっている。稲荷神が俺の幸運を上げてくれたから、今日だってパチンコで勝てた。その金でこうして今A5ランクの和牛を食べることができていると言うわけである。
 初めて稲荷神に幸運を上げてもらったとき、半信半疑の俺は試しに競馬場へ行った。そこで万馬券を当て、二千円で勝った馬券が二十万円以上に化けた。その金を俺は生活費の足しにすることができ、大いに助かったという経緯がある。
 ――だから、なんだかんだで邪険にできねぇんだよな。ああ、肉うめぇ。
 とは言え、稲荷神が時折「褒美をくれてやろう」と言う体で俺の幸運を上げてくれる主な理由が地上で遊ぶ金欲しさなのだから、神様が聞いて呆れる。
「ほら、人の子よ。肉が煮え過ぎて堅くなってしまうわ」
 手に持っていたとき玉子が入ったとんすい皿に、ひょいと肉が入れられる。
「あ、いや。自分でできるって……」
「遠慮するでない。ふふふ」
「稲荷神様、お戯れが過ぎます……! いいか、貴様。調子に乗るなよ!」
「そうだ、そうだァ! 調子に乗るなよ、小僧ゥ!」
「ハァ? 俺はなんもしてねーだろ」
「ほら、人の子よ。白菜も煮えているわ。野菜も食べるがよい」
「だから、自分でできるって!」
 稲荷神は鍋奉行を気取って俺の世話を焼こうとするし、それを面白く思わない白狐とヘビの影には責められる。本当にやかましいことこの上ない。だが、俺がこんな風にだれかと食卓を囲むのは、一体いつぶりだろうか。記憶を辿ると、楽しく食卓を囲んでいた思い出があるのは、まだ父が生きていた頃かもしれない。
 俺が小学校三年生の夏休みに、両親と俺の三人で家族旅行をした。父の運転する車に乗っておしゃべりをしたり、おやつを食べたりして、俺はとても楽しかったのを覚えている。そして幼かった俺は、はしゃぎ疲れて眠ってしまった。
 次に目が覚めたのは病院だった。後で聞いた話によると、居眠り運転のトラックに追突され、父が運転していた車が中央分離帯に激突する大事故だったとのことだ。運転席にいた父は即死。後部座席に乗っていた母と俺は、重傷を負うも命だけは助かった。
 父が亡くなってから生活は一変した。母が外に働きに出るようになり、いつも帰りが遅くなった。だから俺はテレビを流しながら、一人で食事をするのがあたりまえになっていた。
 ――誰かと一緒に食事をするってのは、案外悪くないもんなんだな……。
「なにをぼうっとしているのです、人の子よ。ほら、肉を食べるとよい」
「あ! だから、いいって言ってんのに!」
 また肉をとんすい皿に入れられてしまった。白狐とヘビの影が、わぁわぁ文句を言ってくる。それを無視して、肉を食べる。やはり美味い。
 神様連中は人間の都合なんかお構いなしで、自分の都合を押しつけてくる。本当に厄介な存在なのだ。それは変わりない。そもそも俺がこいつらとの縁ができてしまったきっかけだって、ろくなものではなかった。
 事故のときに生死の境をさまよったせいか、俺はおばけとか妖怪と言われるようなモノが見えるようになっていた。しかし、人ではないそれらと俺は接点を持つことはなく、ただそこにいるモノとしての認識しかもっていなかった。
 そんなある日のこと。稲荷神がうっかり地上に逃がしてしまった蝶を探しに、地上に来ていた白狐と、おばけだとか妖怪の類いが見える俺が偶然出くわした。あのときの俺は、雲の上からこちらを見下ろす白狐の威圧感に恐れおののき、腰を抜かしそうになった。命の危機を感じた俺には抵抗する術などなく、半ば強制的に蝶探しに参加させられることになったのだった。あてもなく夜になるまで街中を探しまわり、最終的に蝶は無事に見つかったが、何故かその蝶は今俺の部屋にいる。そして神様連中も、なんだかんだでこの部屋に入り浸るようになってしまったのだった。
「稲荷神様。これ食い終わったら、ちゃんと天界に帰ってくださいね。あとヘビの影も忘れずに連れていってください」
「いやですわ~! 天界って刺激がなくて、退屈なんですもの。その点、地上には天界にはない面白いものばかり。わたくし、もっと地上を見て回りたいのですわ!」
「稲荷神様。そのようなことをおっしゃっては困ります。我々には我々の、人には人の営みというものがあるのですよ……」
「白狐様の言うとおりでございますゥ。稲荷神様ァ。俺を天界に帰してくださいよゥ」
「ええい! おまえたち、黙らぬか! このわたくしがまだ地上にいると言っているのですよ! 帰りませんったら、帰りませんわ!」
 これではただの、だだをこねている子供ではないか。白狐とヘビの影も、もう少ししっかりしろよと思う。
 そう言えば稲荷神が地上に興味を持ったのは、ヘビの影のせいだ。稲荷神に俺との暮らしはどうかと聞かれたヘビの影が、事細かに人間の生活を話して聞かせたことがいけなかった。最初は興味津々と言った様子で、人間の生活について質問をしていたのだが、そこから「わたくしも地上で人間の暮らしというものを経験してみたいですわ」と、稲荷神が言い出すまでは、いくらもかからなかった。
 そうした経緯で神様連中が天界から地上に降りて来たわけだが、俺は神様が役割を放り出してもいいものなのかと、心配になって白狐聞いてみた。すると、こんな稲荷神でも神としては大変優秀らしく、向こう数十年程度なら遊んでいても問題はないそうなのだ。そもそも悠久のときを過ごしている神々にとって、人間にとっての数十年などは瞬きほどの間もない感覚らしい。
 つまりは神様連中が地上で過ごす時間は、たっぷりあると言うことだ。一体いつまで俺は付き合わされなくてはいけないのか。
 ――めんどくせ。
 俺はこの美味いすき焼きを食うことに、集中することにした。

 そうこうするうちに、すき焼きはあっという間になくなってしまった。今夜食べたすき焼きは、俺が今まで食べた料理の中でも一番美味かったかも知れない。
 ――幸せだ。
 美味い料理を食べて満腹になる。これだけでこんなにも幸福だ。そして俺の心も、ぽかっと温かい。自分自身では気がついていなかったが、俺は孤独だったのかも知れないと少しだけ思った。
 感傷に浸りつつ俺が流しで洗い物を済ませて振り返ると、白虎がでかい白キツネの姿になっていた。
「うわっ! なんだよ、その姿!」
「貴様、うるさいぞ。稲荷神様が起きてしまうではないか」
 小声で怒られる。見れば白狐の毛の中に埋もれるようにして、稲荷神が眠っていた。あんなに食後の楽しみにと、とっておいた駄菓子は食べなくていいのかと思ったが、健やかに眠る稲荷神の顔を見てどうでもよくなった。子供が眠る姿は素直に可愛い。だけどもだ。
「部屋の中で、でかくなるなよ。俺の布団が敷けないだろ」
「貴様の布団のことなど、知ったことか」
「そうかよ。じゃあ、俺も知らねぇ」
 白狐の毛の中にダイブする。なるほどこれはいい。温かくてふかふかで、いい匂いがする。俺の薄っぺらな煎餅布団で寝るより、ずっといいと思えた。
「貴様! 何をしている! どかんかッ!」
「静かにしろよ。稲荷神が起きるぞ」
「……! クソッ、今夜だけだからな!」
 白狐は稲荷神だけを尊び、尽くしている。ヘビの影から聞いた話では、白狐も元は普通のキツネであったらしい。天寿を全うしたキツネの中からまれに妖怪になるものがいる。そのキツネの妖怪たちの中でも白狐になれるのは、ほんの一握りの優秀なキツネの妖怪だけとのことだった。そして、キツネたちにとっての保護者や守護神である稲荷神に仕えることは、何よりも尊いことであり、その中でも側仕えとなることは、キツネたちにとっての最高の名誉であり、憧れなのだそうだ。
 だからこそ白狐が稲荷神の眠りを妨げるようなことなど、するはずがなかった。苦々しい顔をしている白狐を見て、俺はほくそ笑んだ。
 俺はリモコンで部屋の照明を落とす。するとパソコンデスクの上に置かれた虫かごに入っていた蝶が、ぼぁっと光る。この蝶は俺と神様連中の縁ができるきっかけになった蝶だ。うっすらと発光し虹色に輝く姿は、この世界の何よりも美しい。天界から落ちてきた宝石みたいだと思った。
 ――随分上等な間接照明だな……。
 蝶を視界の隅に捉えながら、俺は目を閉じる。明日は稲荷神をどこに連れて行ってやろうか。動物園なんか、いいかもしれない。遊園地でもいいな。そんなことをとりとめもなく考えながら、俺はいつのまにか眠りに落ちていた。

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